大学受験の話 前編

 

高校3年生の夏、高校球児だった僕の最後の夏の大会は和歌山県ベスト16で幕を閉じた(良いように書いたが一回戦を突破しただけである)。引退が決まった時の正直な感想は「やっと終わったー!おっしゃー!」であった。小学4年生から8年間野球一筋だった。中学までは野球が楽しかったし「大学まで野球がしたい!」と親に話していた。しかし、高校野球は本当に地獄だった。

引退してから8年ほど経つが、いまだにあの日々より辛い日はない。本当に100万円を積まれてももうやりたくないと思っている。特に辛かったのが「食トレ」である。とんでもない練習量をこなしながら体重をキープ、もしくは増やすために僕の場合は毎日10合のお米を食べていた。誰に話しても驚かれるが、本当に食べていた。朝ごはんで2合食べて、自転車で学校まで行って、朝練後におにぎりを食べて、2限が終わればおにぎりを食べて、お昼はタッパー弁当で2合を食べて、練習前、後おにぎりを食べて、夕食で2合食べて、、という具合である。もともと少食だった僕にはこれが本当に辛かった。とはいえこれを実現するには親の協力が必要不可欠なので本当に感謝している。本当に感謝しているのだが、最後の試合に負けた時は「明日からもう10合食べなくていい!!!うおおおーー!!」となっていた。結果引退したのが8月で卒業までに15キロ痩せていた(最近は歳のせいかすぐ太るようになったので気をつけている)。

 

何はともあれ8年間の野球人生をやり切った僕は完全に燃え尽きていた。高校最後の夏休み、周りの友達は車の免許を取りに行ったり、バイトをしたり、海にいったり、各々の進路に向けての活動をしたりしていたのだが、僕は本当に何をしていたのかわからない。何の記憶もないのだ。車の免許も取っていない(これに関してはいまだに持っていないので、この時本当に取りに行けばよかったと後悔している)し、バイトもしていない。本当に何をしていたのだろうか。進路は何となく公務員になろうという甘い考えで、学校が開いている公務員講座というものを受けていた。高校卒業から公務員となると消防士か警察官、もしくは市役所から選ぶ形が一般的であった。高校野球を終えた僕は「もうこれ以上運動はしたくない」と思っていたので、訓練が必要不可欠な消防士と警察官は絶対に嫌だった。「ほな市役所かぁ、、ん??市役所??ほんまにええんか?」などとは思いながらも公務員講座を受けていた。

 

そんなある日、友達とROUND1に遊びにいく事になり、もう1人友達を呼ぼうということで満陽(みちはる)に電話した。すると満陽は「俺なぁ今日みつき(僕は服部と呼んでいる友達。満陽と服部はいまだに付き合いのある親友である。この3人のグループLINE「罪と罰」が存在する。)と龍谷大学オープンキャンパスに行ったねん。それで2人で龍谷いこうって約束したから明日から勉強するわ」と言った。僕は「はあ?じゃあ俺もいくから勉強するわ」と言って電話を終えた。ROUND1に行く約束をしていた友達に明日から勉強するから行けないと伝えて眠りについた。

次の日まず母に大学にいきたいと伝えた。詳しく知らないが大学は大変お金がかかるというイメージがあったから、僕の一存でいける場所ではないという気がした。理由は適当に「教師になりたい」と伝えた。母は「はあ?そんなお金ないで?」と言ったが「まぁ好きにしいや」と僕の決心が一時的なものとでも思ったのか、あまり相手にしなかった。

元々は大学に行くつもりで高校受験をしていた。僕の高校は偏差値はそんなに高くはないが指定校推薦の枠がたくさんある高校だった。昔から勉強はやればできる子だったので、中学3年生の間だけそれなりに勉強すれば成績はオール5だった。塾の先生から指定校推薦で大学に行くのが楽だと言われたので、この高校を選んでいたのだが、野球の練習で疲れ切っていた僕は授業中はずっと寝ているか漫画を読んでいた。おかげで指定校推薦など取れるはずもなかった。

母に話した次の日、担任の吉澤先生に龍谷大学にいきたいと伝えた。流石に話が急すぎたのか吉澤先生はポカンとしていた。「えっと、、まず龍谷大学ってどこにあるか知ってる?京都やで?」と言われ、目が点になった。しかし、冷静になって「満陽と服部と京都かぁ、、めっちゃおもろいやん!」となり、和歌山から京都は流石に通えないので、ちょうど早く親元を離れたいと思っていた僕には好都合だった。試しに龍谷大学の過去問を解いてみたのだが、高校の2年半全く勉強をしてこなかった僕には流石に厳しすぎた。そこで同じ京都で、少し問題の難易度が下がる大学を吉澤先生が紹介してくれた。それが佛教大学だった。「ん?佛教?お坊さんの大学?」と思ったがそれなりに教育に力を入れた普通の大学だということで、僕としては京都であれば何でも良かったので、ここにしようと決めた。

3人で「よし!やろう!」となり、僕と満陽と服部の受験勉強は始まった。

それはもう10月のことだった。