Avalon

 

 

2022年3月に1st full album『ato』をリリースしてから、3年とちょっと。

2025年7月2日に『Avalon』が配信限定でリリースされます。

まずは、あまりにも長い間待たせてしまった人がいることを詫びたいです。ライブハウスに来ないと僕たちの新曲は聴けないし、家に帰っても聴くことができない、そんな状況でも信じて待ち続けてくれた人たち、通い続けてくれた人たちに本当に感謝しています。またそんな状況でもhananashiを続けてくることができたことに一種の確信めいた自信のようなものを感じていることも確かです。

 

 

この3年の間、僕たちはろくにプロモーションもせずに新曲を作り続けました。しまいには30分のセットリストの半分以上がリリースしていない曲で埋まることも多々ありました。

その間僕たちは待ち続けていました。

今しかないという瞬間を。

 

 

やはり曲をリリースするならCDという形で皆さんの元にお届けしたいと思っています。そして、そのタイミングはすごく大事だし、慎重に「今だ!」と言う瞬間を探っていました。

しかし、どれだけ待ってもその瞬間は来なかった。

「かっこいいバンドは勝手に評価される」そんな淡い期待はとうに崩れ落ちました。でも僕たちにはずっと自信だけが残っていました。「hananashiは絶対にかっこいい」

もう待っているだけではダメだ、自分たちの手でその瞬間を掴みにいかないといけない。

 

 

最近の僕たちの活動の変化に気づいている人もいると思います。正直hananashiが今の評価のまま終わるのはマジで意味がわからないし、流石にふざけるなと思っています。もちろん少しずつ流れが変わってきているなという実感もありますが。

もう次のアルバムを出せるだけの曲は集まっています。あとは「今だ!」という瞬間を僕たちの手で掴みにいきます。今回の『Avalon』配信リリースはあくまでもその一環です。これはまだまだ始まりに過ぎません。

僕たちの次のCDが発売される時に全てをひっくり返します。

 

 

そして、既に僕たちに期待の目を向けてくれている皆さんにはもう少しこの茶番劇に付き合って頂くつもりです。

まずは『Avalon』を味わい尽くして頂き、来たる7/18(金) KYOTO MUSEにて開催される

BLOOM IN LIVEHOUSE "AVALON"

にお越しください。

hananashiの周りにはいわゆる人気者に分類される同士がたくさんいます。そしてその同士たちは僕たちが力を貸してほしいと言えば力を貸してくれる最高の仲間ばかりです。でも今回はあいつらの力を借りることはしません。

人気者を企画に招いてパンパンのフロアを前にライブをして、成功した風を装った企画にするのは絶対に嫌です。

自分たちの足元をしっかりと見つめ現在地を確認するためにも今回はこのメンツで出来る限りの純度の高い時間を作ります。

共に最高の景色を更新したいです。

 

https://eplus.jp/sf/detail/4333020001-P0030001

 

救急車

 

 

部屋で1人何かしらの作業をしていると、僕の住むマンションの近くに大きい病院があるせいか30分に一回は救急車のサイレンが聞こえてくる。昔から救急車といえば病院の先生が運転していると勝手に思っていたが、基本的には消防士が運転していると知った時は驚いたし、実際に消防士になった後輩が「今は救急車を運転している」と話していたので恐らくそれが本当なのだろう。

そして、僕にはこのサイレンが聞こえるたびに思い出すことがある。

 

 

僕はこの人生で今の所2回救急車で運ばれたことがある(もう2度と乗りたくはない)。そして、それは奇妙なことにどちらもマラソン大会がある日だった。

 

 

その一つは僕が小学5年生の冬、僕の住む地域で開催される市民マラソンに参加した日のことだった。学生やら家族連れやら、おじいちゃんおばあちゃんも参加するマラソン大会だった。僕は野球部に所属していて、その部活では毎年この市民マラソンに参加するのが恒例だった。昔っから僕はマラソンが大っ嫌いだったので、毎年この行事は憂鬱だった。部員と一緒に走ろうと約束をして、どちらかが疲れてきたタイミングでどちらかが裏切って置いていくあの心理戦のあれやこれやが行われたが(もちろん僕は毎度置いていかれる側だが)なんとか今年も完走を果たした。ゴール地点のグラウンドでは熱々の豚汁が配られ走り終えた参加者達は土の上に腰掛け各々マラソン後のトークを楽しんでいた。僕はかなり遅かったので他の部員はほとんど豚汁を食べ終えており、1人倉庫みたいな建物の裏にいってそこに座って豚汁を食べようとした。その時その熱々の豚汁が僕の右足の脛の右あたりにドバッとかかったのだった。僕はあまりの熱さに泣き叫ぶことしかできず、謎に倉庫の裏に居たせいで人が駆けつけてくれるまでに結構時間が掛かっていた(苦痛すぎてやたら長く感じていただけかもしれないが)。その日は野球のユニフォームを着て参加していたのでロングソックスを履いてさらにその上にストッキングを履いていた。それを駆けつけた大人が脱がしてくれたが中は結構悲惨なことになっていた。

暫くして救急車のサイレンが近づいてきて、僕は運ばれていき、救急車の中で泣き叫んでいた。当分火傷の跡が残っていたが、今では綺麗に治ってくれた。

 

 

 

そして、もう一つ。

僕が初めて救急車で運ばれた日のこと。これも冬の出来事で小学4年生だった。

この日は僕の通う小学校のマラソン大会があった。出来ることなら参加したくないと思っていたが、まさか本当に参加しないことになるなんて思ってもいなかった。

そして、僕が救急車のサイレンを聞いて思い出すのはこの日のことだった。

 

 

その日は4限まで通常通り授業があり、お昼の給食を食べた後にマラソン大会が開催された。

2限だか3限だかに理科の授業があり、何かしらの実験があるとのことで理科教室で授業は行われた。いくつかの班に分かれての授業であり、同じ班には長峰かおるがいた。

 

長峰は4年生になったタイミングで初めて同じクラスになり、それとなくよく話しかけてくる女子だった。特にオチのないつまらない話を延々としてくるタイプの人間だったが、僕はそれはそれで居心地が悪くはなかった。休憩時間に一緒にトランプをすることもあったし、顔を合わせれば何かしらの話をした。

 

その日の授業中も同じ班だったこともあり、先生の話は半分で長峰とこそこそと話をしていた。そのせいもあって、その日は何の実験をしていたのかはよくわかっていない。ただ実験中の様子はよく覚えていて、何かよくわからない装置に30cmくらいかそれ以上の長さのガラス棒をブッ刺していた。僕は上からガラス棒を持って下の装置に向けて押し込んでいて、長峰はその下にある装置を支えていた。なかなかうまく刺さらないので少し力を強めて押し込んでみた途端、そのガラス棒が思いっきり折れた。

ガシャンッ!!という音がなり、あちゃーっと思った瞬間目の前に真っ赤な液体が飛び出してきた。

 

血だ、、と悟った時、僕は何が起きたかわからなくなりパニックになりかけたが、次の瞬間僕の前にいた長峰が叫び声をあげて泣き出した。

ああ、、僕が持っていた方の折れたガラス棒の先が長峰の手のどこかに突き刺さったんだなと、僕はその時理解した。驚くほど冷静だった。僕の手にも大量の血が付いていた。

 

もちろん教室は騒然となり、先生は泣き叫ぶ長峰を抱きしめ、クラスのまとめ役的な生徒たちが職員室に向かっていくのが見えた。

すぐに保健室で長峰は応急処置を受け、全く痛みを感じなかったが念のため僕も保健室にいった。保健室の先生は痛がっている長峰を優先的に処置し、僕はそれをみていた。やがて救急車のサイレンが聞こえ、僕と長峰、あと担任の先生が救急車に乗り込んだ。

車内はとても静かだった。

長峰もその頃になるとかなり落ち着きを取り戻しており、僕の左手からも血が出ていたが救急隊の方が応急処置をしてくれたし、特に痛みはなかった。「これ、、マラソン大会どうなるんやろう」とか考えていた。

 

起こってしまったことは仕方のないことではあったが、担任の先生はかなり責任を感じていた。僕もかなりの量の血を見たことで結構まいっていたが、長峰には何度も謝っていた。

長峰も「気にしないで」といった様子だった。

 

結局病院でしっかり検査をしてもらい、結果的には僕の方が重傷であることがわかった。折れたガラス棒の先端が僕の掌を貫通していたくらいだ。5針ほど縫うことになった。長峰を心配するあまり全く痛みを感じなかったのは不思議だった。

長峰は思っていたより軽傷で、あの血はほとんど僕のものだったらしい。

 

 

それから僕らにはなんとなく距離ができた。

ギクシャクしているというほどではないし、僕も長峰も特に気にしているわけではないのだがあまり話さなくなった。そのまま時は流れ5年生になりクラスも離れ、中学にあがる頃、当時の僕はそんなことはとうに忘れていて、長峰とは同じ中学だったかも覚えていないのだった。

 

ただ二十歳を過ぎた頃、指を切って血を出した時、その血をみてなぜかふと長峰のことを思い出したのだった。そういえばあんなことがあったなという具合に。

それからは、妙にあの日のことが頭をよぎるようになり、血が目に入ったり、救急車のサイレンが聞こえたり、マラソン大会という言葉を見たり耳にした時に僕はふとあの日のことを思い出すのだった。

 

また長峰に会いたいとか、もっとちゃんと謝りたいとか、そんなことを思うわけではない。

ただあの特にオチのないつまらない話を思い出すだけだ。

 

2025.2.24

 

 

2025年2月23日高松TOONICEにて、埼玉秩父mabutaのツアー出演、打ち上げを終え帰りの車内、久々に文を書いてみる。

思い返せば前回文を認めたのもmabutaと対バンした帰りだった気がする。やはり良いバンドと対バンした日は言葉にならない感情が溢れ出す。でもそれをどうにか忘れない為に何かを書き残そうとするのかもしれない。

高松TOONICEも地元バンドも初めましてだったが本当に出会えて良かったと思う。

年々バンドを続ければ続ける程、別ればかりが増えて、出会いの数は少なくなってきた。

地元に根を下ろし、家族がいて、恋人がいて、友達がいて、仕事があって、それと同じようにバンドがある。それがものすごく美しくて尊いものだと改めて思わせてくれた。

今日出会いを忘れない為にも書き残す。

 

話は変わり、僕は先日22日に27歳になった。小学生の頃ドラマで主人公が多忙のあまり誕生日を忘れているシーンを見て「そんなアホなぁ」と思っていたが、僕自身今年の誕生日はほとんど忘れていた。そして年々誕生日に興味がなくなってきている。数年後には本当に誕生日を忘れているんじゃないかと不安になる。でもそれにつれて、それでも誕生日に連絡をくれる友達が愛おしくなるのは確かだった。

そして、いくら歳を重ねてもまだ知らない新しい感情が顔を出すことがたまにある。そんな時、僕は困惑しつつ、無表情を決め込む癖があるのだが、こんなまだ名前のない感情にもきちんと向き合っていかなくてはと思う27歳のはじまりだった。

 

ひとまず2月のバンドでの演奏は終わり、明日は今年最初のソロ弾き語り。今月はなかなか行けていなかった地方にもいけた。良い再会と良い出会いが音楽によって訪れた。

こんなことをもうちょっと繰り返していたい。

2025.1.20

 

熱狂を終え八王子から無事家に到着した。

酒の酔いと車移動の疲れが残る。

ひとまず1月のライブが全て終了した。

年が明けてすぐにホームであるライブハウス、名古屋、神戸、東京と幅広く演奏しにいけたこと、そしてそこで待ってくれている人がいたことを嬉しく思う。

 

名古屋でのライブのフロアの光景が蘇る。

僕と同い年くらいの所謂もういい大人たちが感情剥き出して歌っている姿は本当に良かった。

みんなちゃんと働いて生きているんだなと思った。

そして、そんな奴らに愛される僕たちは本当に良いバンドだと思った。

 

昨日はmabutaとお互いの故郷でツーマンをしようと約束をした。

この約束は必ず果たしたい。今年中に。

 

来月も岡山、神戸、高松と少し離れた土地へ。

再会の予感。沸々と。

 

2024

 

 

12月怒涛のライブも終わり、アルバイトも納め家でゴロゴロ。2024年を軽く振り返ってみたりしている。

今年は何か動きを見せられればと思ってスタートさせたが、結局呼ばれたライブに出演するだけで終わってしまった。

生活や制作を天秤にかけて大体月5本くらいのライブ活動が、身体的、精神的にちょうど良さそうで、今年は53本(たぶん)のライブをした。曲も何曲かできた。

12月は結構ハードなライブスケジュールになったが、どうしても出演したいライブのオファーが重なったので、多少無理をしてでも出演してよかったと思う。いいライブができたし、何より対バンがかっこよかったことがすごく嬉しかった。これだけかっこいい人達に必要とされているんだと自分たちを肯定できたし、2024年がただ無駄に過ぎたわけではなかったと確認できた。

何かと観に来てくれるお客さんの数も増えていて、リリースも企画もしていないのによく生き残れているなとも思ってはいる。

 

 

 

バンド以外の生活でいうと今年は初めての冠婚葬祭に触れる機会が多かった。結婚式には3回出席し、つい先日は祖父の葬式に参列した。結婚式も葬式も生まれて初めての経験だった。

友の晴れ舞台に心から「おめでとう」と祝福できたし、祖父はしばらく危篤状態だったので、ある程度覚悟はしていたが、いざ残された祖母や母の辛そうな表情を見ていると自分も目頭が熱くなった。

自分はまだそこまで冷め切った人間ではないのだなと俯瞰して、少し安心した。

 

祖父は無口な人であまり思い出深いエピソードはないが、何度も腕相撲をした(一度も勝てなかった)こと、将棋を教えてくれた(一度も勝てなかった)こと、僕が高校3年生の夏、最後の野球の大会で勝利した時の映像を何回も観ては泣いていたらしいことは覚えている。

80歳まで仕事をして(すごい)、綺麗な顔で天寿を全うした。かっこいい人だった。

明日からは3日程帰省して、家族や旧友との時間を作ろうと思う。

 

 

 

2024年も終わりに近づき、このブログを始めて大体1年が経つことになる(最近は全然更新できていなかったが)。

このブログを始めた理由としては、自分がSNSに苦手意識を持っていたが、何かしら発信しなくては、、、と思ったからだ。

 

SNSの何が苦手だったかというと、僕のことを何も知らない人にも安易に広がってしまうということだった。もちろんそれがSNSの醍醐味であり、それがあるから広がる世界であることはわかっている。

でも、いざ発信しようとした時、顔も名前も知らないだけでなく、僕のことを何者かも知らない人に見られるかもしれないと思った途端に僕の指は止まるのだった。

だから、僕のことを知ってくれた上で、このブログの存在に気づいてくれた人、もう一歩踏み込んでくれた人に何か発信できないかと考えた結果行き着いたのがブログだった。

 

実際始めてみて、より僕のことを知ってもらえるいい機会になったと思うし、僕自身が僕のことを深く知るためのいい機会になった。

だが、最近はちゃんと書きたいという想いが強くなってしまって、このブログを一種の作品みたいに捉えてなかなか更新できなかったので、来年はもっと気軽に日記感覚で投稿できたらと思っている。

 

先述したSNSの苦手意識も続けるうちに慣れてきたし、そんなこと言うてる場合ではない気がしてきたので、来年はもっと踏み込んでみようと思う。

来年の抱負として(あまりこういうのは決めたことがなかったが)は

 

"やりたくないことも頑張る"

 

にしようと思う。

 

バンドをしたいと思った頃の僕が描いていた「theバンド活動」とは"曲を作ってライブやツアーをすること"だった。

しかし、いざ始めてみると、それ以外にもバンド活動というのは沢山あって、そのほとんどが"やらなければいけないこと"だった。

やりたいことをするために、やらなければいけないことが沢山あって、さらに、そのほとんどが"めんどくさくてやりたくないこと"だった。

だから僕は「やりたくないことはやりたくない!」という調子で、そのほとんどを放棄していた。

次第にそれじゃダメだとわかってきて、「ちょっとやってみる」→「もうちょっとやってみる」→「やる」→「頑張る」という具合で、僕の中で変化してきた。僕なりの落とし所を見つけて頑張ろうと思っている。

既にこれを読んでくれている人には「おお、キム頑張ってるなあ」という感じで面白がってくれたらと思う。

また途中で嫌になりそうな気もしているが、、

 

 

 

また今回も長くなってしまったけど、要は

 

今年もありがとうございました。

来年も宜しくお願いします。

 

ということだと思う。ではまた

 

2024.8.12

 

 

2019年の年末に大阪にある心斎橋BRONZEというライブハウスであるバンドと対バンした。

 

 

僕は元々ドラムのひろきさんから「このバンドええで」とおすすめされ当時タワーレコード店舗限定で置かれていたCDを何度も聴いていた。

普通にファンだったし、いつか対バンできたらいいなと思う存在だった。

 

念願の対バンだったこともあり、少し緊張しながらBRONZEのドアを開けるとそのバンドは既に会場入りをしていた。

僕たちは出来る限りどのバンドよりも早く会場入りをすることを心掛けていたので「負けた」と思った。

 

挨拶も程々に順番にリハーサルが行われていき「オープンします!」とBRONZEスタッフの声が響いた。

僕たちの出番はトリ前でBRONZEの年末ライブだったこともあり、BRONZEへの想いを叫び歌にした。悪くないライブだったと思う。

その後にトリとしてそのバンドのライブが始まった。

圧巻のライブで、BRONZEに対する想い、30分のライブにかける想い、何をとっても僕たちのそれとは文字通り桁違いだった。

 

その後の打ち上げで、そのバンドのボーカルは誰よりもお酒を飲み、誰よりも面白かったし、はしゃいでいた。

(それがカッコ良いのかどうかは置いといて)当時の僕にはそれがとてつもなくカッコ良く見えたし「バンド本気でやるってこういうことやで?」とその日会場入りした瞬間からずっと突きつけられているような感覚だった。

僕は全然バンドに本気になれていないと気付かされた。

 

それから僕はもっと本気でバンドをしたいと思ったし、本気でやるということはどういうことかを考えるようになった。そして、いつもその指標にはそのバンドがいた。

あれからどれだけ近づけたか遠ざかったかわからないけど、まだまだ遠くにいる気がしている。

 

今はそのバンドのライブを観るために日本武道館へ向かっている。

気づいたこと

 

 

最近はかなりほのぼのと暮らしている。

毎年春は苦手で色々と乱れ狂って1番嫌いな季節なのだが今の所大丈夫。しんどいバイトもしっかり出勤できていて「マジ余裕なんだが卍」という具合である。

僕は何かに苛立っていたり不満がないと歌詞が書けなかったり、ブログも書くことがなかったりするので、最近は更新できていなかった。

ブログを更新していないということは僕のメンタルが安定しているということだと思ってもらってもいい。

しかし、「そんな自分は空っぽなのでは?」というジレンマも抱えながら暮らしているのも事実である。

昨日僕のブログをやたら読んでくれている人とブログの話をしたので大阪に帰ってきて早々更新してみることにした。

 

 

 

僕は幼い頃からお箸の持ち方が汚かった。

母からは何度も注意され、時には説教されたのだが僕のお箸の持ち方が変わることはなかった。高校生にもなると母も呆れ、注意されることもなくなっていた。

時は流れ、大学生になり、好きな子とデートに行ったり、バイト先の飲み会でなんとも言えない微妙な距離感の人達と会食したりする度に、僕のお箸の持ち方が汚いことに対して「あれ?もしかしたらちょっと恥ずかしいかも、、」と思うようになった。

それから正しいお箸の持ち方に矯正するようになった。母から何度も教わっていたので体得するのにそう時間はかからなかった。久々に帰省した際、母からは「あれ?ちゃんとお箸持ててるやん」と言われ「せやねん〜ちょっと恥ずかしいかもって思ってん〜」

母「あんなに注意しても直らんかったのに」

僕「やっぱり自分で気づくってことが大事なんですなぁ〜」

というような会話をした。

なんてない会話だったが今でも強く印象に残っていて、「やっぱりどれだけ人に何か言われても自分でそれに気づかないと何も変わらんのやなぁ」と思うようになった。

 

こんな経験もあってか、僕は何かを人に伝えたい(と思うこと自体少なくなっていた)と思った時に「でも結局この人が気づくかどうかやもんなぁ」となってしまい、人に何かを伝えたり教えを説くことをしなくなっていた。

でも自分自身は色んなことに気づきたい、まだまだ気づけることがあるんだという思いが強くなっていた。

 

そして今僕はhananashiというバンドを通して、気づかせたい、わからせたいと思うのである。

伝えたいのではなく気づかせたいのである。

より良い自分に、またそれを考えるきっかけを、そして僕自身がより良い自分にまだまだ気づきたい。