気づいたこと

 

 

最近はかなりほのぼのと暮らしている。

毎年春は苦手で色々と乱れ狂って1番嫌いな季節なのだが今の所大丈夫。しんどいバイトもしっかり出勤できていて「マジ余裕なんだが卍」という具合である。

僕は何かに苛立っていたり不満がないと歌詞が書けなかったり、ブログも書くことがなかったりするので、最近は更新できていなかった。

ブログを更新していないということは僕のメンタルが安定しているということだと思ってもらってもいい。

しかし、「そんな自分は空っぽなのでは?」というジレンマも抱えながら暮らしているのも事実である。

昨日僕のブログをやたら読んでくれている人とブログの話をしたので大阪に帰ってきて早々更新してみることにした。

 

 

 

僕は幼い頃からお箸の持ち方が汚かった。

母からは何度も注意され、時には説教されたのだが僕のお箸の持ち方が変わることはなかった。高校生にもなると母も呆れ、注意されることもなくなっていた。

時は流れ、大学生になり、好きな子とデートに行ったり、バイト先の飲み会でなんとも言えない微妙な距離感の人達と会食したりする度に、僕のお箸の持ち方が汚いことに対して「あれ?もしかしたらちょっと恥ずかしいかも、、」と思うようになった。

それから正しいお箸の持ち方に矯正するようになった。母から何度も教わっていたので体得するのにそう時間はかからなかった。久々に帰省した際、母からは「あれ?ちゃんとお箸持ててるやん」と言われ「せやねん〜ちょっと恥ずかしいかもって思ってん〜」

母「あんなに注意しても直らんかったのに」

僕「やっぱり自分で気づくってことが大事なんですなぁ〜」

というような会話をした。

なんてない会話だったが今でも強く印象に残っていて、「やっぱりどれだけ人に何か言われても自分でそれに気づかないと何も変わらんのやなぁ」と思うようになった。

 

こんな経験もあってか、僕は何かを人に伝えたい(と思うこと自体少なくなっていた)と思った時に「でも結局この人が気づくかどうかやもんなぁ」となってしまい、人に何かを伝えたり教えを説くことをしなくなっていた。

でも自分自身は色んなことに気づきたい、まだまだ気づけることがあるんだという思いが強くなっていた。

 

そして今僕はhananashiというバンドを通して、気づかせたい、わからせたいと思うのである。

伝えたいのではなく気づかせたいのである。

より良い自分に、またそれを考えるきっかけを、そして僕自身がより良い自分にまだまだ気づきたい。