チバユウスケ

 

2023.12.5

チバユウスケの訃報がThe Birthdayの各公式SNSより報告された。

 

僕がこのロックシンガーを初めて認識したのは、大学1回生の時だった。

軽音学部の活動で夏休み中に1週間長野県の山奥で合宿を行う。3日間みっちり練習して最後の2日でライブをする。

そこでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)のコピバンをすることになった。そのバンドのボーカルこそがチバユウスケだった。僕はそれまでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTというバンドは全く知らなかったし、興味もなかったが、同回生で仲が良かったベースのガシ(後に部長になる男)に誘われるがままに組んだ。

 

僕が所属する軽音楽部では、入部と同時に、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードの中からパートを選び、そのグループに所属する形となる。各グループに枠が与えられ、大体月に1回ある定期ライブで与えられた枠の数だけバンドが組めるというシステム。ライブが終わればその都度バンドは解散し、また別の部員とバンドを組む。バンドの組み方は人それぞれで、基本的には仲の良い者同士でバンドを組むことが多いが、腕のある者は上回生からお誘いをもらうこともある。そうなるとよりクオリティの高い演奏ができたり、難易度が高いバンドが組めたりする。なかなかバンドが組めない部員がいたり、人気な者は何バンドも掛け持ちしていたりと完全な実力社会だった。未経験者が多い部活だったこともあり、みんなしのぎを削って練習していた。

 

僕は入学当時、どの部活に入るか全く決めていなかった。入学式が終わって体育館を出るとたくさんの上回生が新入生を待ち構えていた。部活動やサークルの団体で集まって新入生の勧誘合戦がはじまる。僕も勧誘の猛攻を浴び、大量のビラを家に持って帰る事になった。その中に軽音楽部のビラも混ざっていた。高校生の時にRADWIMPSONE OK ROCKなどみんなが聴いていたロックバンドに僕もハマっていたので、軽音楽部はなんとなく気になってはいたが、高校まで野球一筋だった僕は文化部の雰囲気になんだか気が引けてしまって近寄ることができなかった。

 

和歌山から1人京都に出てきていたので友達など1人もおらず、唯一同じ高校から進学していた人に話しかけて、学年レクレーションや健康診断など一緒に回ったり、アメフト部や軟式野球部の体験などには参加した(この人とは結局あまり仲良くなれずに終わった)。

なんとなく日々は過ぎていき、ゴールデンウィークに帰省して旧友や当時の彼女と遊んで、また京都に戻った。

「そろそろ部活決めなやばいな〜」と思いながら1人端っこで受けていた講義中に話しかけてきた者がいた。同じ学科の慧周(えしゅう)だった。学科別のレクレーションで話しかけられて以来、少しだけ仲良くなり、たまに一緒に講義を受けたり食堂にいったりしていた。その日も講義が終わってから一緒に食堂で昼食を食べながらたわいもない話をしていた。その時「きむ部活どうするん?」と聞かれ「どうしよかなぁ、、慧周は?」と聞き返すと「俺は軽音部入るで、きむも入ったら?今日はちょうど部会があるから来いや」と言われ元々気にはなっていたので部会に行ってみることにした。

 

部会は毎週火曜日に行われており、部員は必ず出席しなければいけないらしかった。大教室で回生ごとに分かれて座っており、部員全体で100人近くはいた。その中でも僕と同じ一回生は特に多く30人以上はいた(ほとんどが辞めていき、最後は15人ほどだった)。

その日までに楽器体験や新入生歓迎会などで親睦を深めていた同回生はすでに各々のコミュニティができており僕が入れる余地はなかった。

その日は入部届の提出期限だったらしく軽い気持ちで来ていた僕は入部するか否かその場で迫られることになった。さらに、腕見せライブという新入生がメインのライブがあり、入部者は全員このライブに出演しなければいけなかった。そのライブのバンド締切もこの日だった。

僕はその場の流れで断ることもできず入部することとなり、ボーカルグループに所属することになった。初めて部会に来た僕に腕見せライブで組んでくれる部員などいるはずもなく上回生が仕方なく組んでくれた(その中にはみねさんがいた)。楽器も持っていないのでピンボーカルで好きなバンドを聞かれONE OK ROCKのコピバンをやることになった。

とんとん拍子で色々と決まっていったが、部員からは完全に変人だと思われていたと思う。

 

軽音楽部の部室は地下2階にあり、その横にはスタジオがあった。

初めてスタジオに入って曲を合わせた時に思ったことは「楽器の音でか!」だった。カラオケ感覚だった僕の声量ではほとんど楽器にかき消されていた。それでも何度かスタジオに入っているうちに少しずつ形になってきた、合わせるのも楽しかったし、何よりもずっと憧れていたバンドをやれているという嬉しさがあった。

 

迎えた腕見せライブ

部会で変人扱いされてから、ほとんど友達は出来ていなかったし、上回生にも良いところを見せたかった。ついに見せ場がきた僕は緊張のあまり完全に"かかっていた"。本番の記憶は一切なく、一曲しか歌っていない(Deeper Deeper)のに気づいたら汗だくでステージを降りていた。本当に最悪な歌を歌っていたことだけはわかった。みんなから笑われている気がした。恥ずかしさのあまり消えてなくなりたかった。もう辞めよう。と思った。周りのボーカルはみんな上手で既にギターを弾きながら歌っている者もいた。周りとの差を見せつけられ落胆して、同回生のみんなは打ち上げでサイゼリアに向かったが僕はいかなかった。

高校までカラオケでチヤホヤされていた程度の僕の自信は完全に喪失してしまった。

 

こんな僕が評価されるはずもなく、次の7月の定期ライブは誰にも誘われなかった。腕見せライブを組んでくれた先輩は僕を見兼ねてもう一度ONE OK ROCKを組もうと言ってくれた。ベースのみねさんだけ枠が空いてなかったので、代わりに枠が空いていた同回生のガシが入ってくれた。必死に練習して、前回よりは上手く歌えた気はしたが、僕の自信が戻ってくることはなかった。

 

そうして「俺は歌の才能ないし、ギターがんばってみよ」となり、7月の定期試験を終え夏休みに入った僕はすぐに帰省して母に頼み込んでギターを買えるだけのお金を貰った。京都に戻ってきて、5万円を握り締め楽器屋に入った。ど素人の僕は楽器のことは何もわからないし、全く弾けないので試奏させてもらうのも嫌だった。5万円きっかりで1番見た目がイカしてるものを選んで購入し、そそくさと帰った(Epiphoneのレスポールだった)。

それからは家にいる時間はずっとギターの練習をした。さらに当時の僕は京都に友達がいなかったので休みの日は1日中家でギターの練習をしていた。というよりギターを触れるのが楽しくて遊んでいたらすぐに1日が過ぎていった。

 

次のライブは夏合宿で、7月ライブが終わった部員はすぐに次のバンドを組む相手を探す。その頃になると僕も次第に部内でそれなりのコミュニティを確立し、仲の良い部員も増えていた。一回生のボーカルは2枠バンドを組むことができたので、次の夏合宿では何としても2バンド組みたかった。仲の良かった者に声をかけてなんとか同回生同士でKANA-BOONを組むことができた。もう1バンド組みたいなぁと思っていた矢先にガシに誘われたのがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだった。

全く知らないバンドだったが、断る理由はなかった。KANA-BOONTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTもボーカルはギターを弾きながらの演奏だったので、ついに僕のレスポールの出番がきた。

 

KANA-BOONのメンバーはリードギターのゆうたは経験者だったが、ベースの慧周とドラムの山中(やまちゅう)は未経験者だった。ONE OK ROCKの時は僕以外のメンバーが上回生だったこともあり演奏は安定していた。それに慣れていた僕はKANA-BOONのスタジオ練習で初めて未経験者同士でバンド演奏することの難しさを知った。今回は特に僕もギターを弾いていたので難しさを実感したのだと思う。

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTリードギターは匠(しょうと読む、同じ和歌山県出身で親の影響でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが大好きで、リードギターアベフトシを崇拝していた、高校時代はひきこもってギターの練習しかしてなかったらしい)、ベースはがし(未経験者だったが同回生の中では比較的上手だった)、ドラムは若杉さん(2回生の先輩でONE OK ROCKのドラムを叩いてくれたのもこの人だった)で、初めてスタジオに入った時、今までと全く違う感覚だったのを覚えている。「え?これやばない?めっちゃ良くない?」とその完成度に自分達自身で感動していた。明らかに今まで組んだバンドとは違った。技量?グルーブ?バンドに対する想い?合宿で疲れて頭がバグってたから?なぜかわからないが、カチッとバンドが締まっている感じがした。そこから何度かスタジオに入り、さらに完成度が上がっていった。

「これ、、いけるぞ、、!」という気がした。

 

迎えたライブ当日

僕にとっては3回目のライブで少しずつ人前で歌うことに慣れてきていた。もちろん緊張はしたし必死だったが、自分達ができる1番良い演奏ができた気がした。

僕たちTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの演奏が終わり、ステージを降りて片付けをしてフロアに戻ると明らかに会場の雰囲気が変わっていた。上回生は僕たちの演奏を褒めてくれていた。同回生は驚いている者が多く、悔しがっている者もいた。ほとんどの部員は匠のギターに魅了されていたのだが、僕としては、このバンドが評価されたことが嬉しかったし、僕の歌を褒めてくれた人もいた。

初めての経験だった。

僕の中の自信がほんの少し生まれた瞬間だった。

 

 

それから月日は流れていき、僕たちはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのメンバーを固定して、何度もライブをした。数えたら引退までに6回(たぶん)ライブをしていて僕は4年間でで1番演奏したバンドがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだった。

あの夏合宿のライブでたくさんの部員が僕のことを評価してくれて、軽音楽部にのめり込んでいく、続けていくきっかけになった。

 

今日まで僕はまだバンドを続けている。

僕がバンドをやる上での1番最初の小さな自信になったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTにはとても感謝している。

バンドが人に与える影響は計り知れない。

 

チバユウスケさん、ありがとうございます。