朝顔と母

 

小学一年生の頃

学習の一環で朝顔を育てる授業があった。

青い鉢植えがクラス全員に支給され、土を敷き詰め種を撒くまで先生が一緒にやってくれた。あとは生徒自身が毎日学校に来るたび教室に入る前に、中庭に並べられた自分の鉢植えに水を遣る。5日から10日ほどで、ふたば、本葉と生えてきて1ヶ月前後で花を咲かせるとの事で、1ヶ月後にある授業参観で親に朝顔の花を見てもらうというのがこの学習でのゴールだった。

 

この頃の僕は朝顔に無関心だったが、一緒に登校する友達が毎日水をあげていたので、自分もなんとなく水をあげていた(土が水浸しになるまであげていたような記憶があるが、多分あれは間違えていた)。速い鉢植えでは5日ほどでふたばが生えているものも見受けられた。友達も1週間ほどで緑を見つけていた。僕も初めは無関心だったが、みんなの鉢植えを見ていると自分の鉢植えの土から出てくるであろう緑を今か今かと待つようになった。ところが2週間ほど経っても緑が見つからない。周りの鉢植えは葉が増え、蔓が伸び、つぼみをつけているものもあったのに。あと1週間後に迫る授業参観までに朝顔の花を咲かせる事は到底不可能だった。

 

迎えた授業参観。

初めに算数の授業をして、生徒達は背後にいる親に良いところを見せるために先生の質問に対して手を挙げて、意気揚々と解答してみせる。自分もその中の1人で母の前で良いところを見せたかった。勉強はそれなりに出来たので、それなりに良いところを見せることができたと思う。

算数の授業が終わって休憩の時間、生徒達は各々親を連れて中庭へ向かう。中にはサプライズを隠すようにワクワクした足取りで向かう者もいた。

僕は憂鬱だった。

 

中庭には満開の朝顔達があった。本当にみんなの鉢植えが満開だった。

僕を除いては。

母は気まずそうにしている僕を笑いながら、ようやく発芽したばかりのふたばを人差し指でいじった。2、3回いじって「何よこれっ笑」と言ったのを今でも覚えている。今では笑い話だが、この頃の僕はそれがとても悲しかった。母に満開の朝顔を見せてやりたかった。

良い顔をしたかった。

 

授業参観も終え、満開の朝顔に水を遣る生徒はいなかった。次第に枯れ始める鉢植えもあった。僕は悔しくて、その後も鉢に水をあげ続けた。担任の林先生は僕を気遣って、一緒に水をあげてくれた。

2週間ほど経って、中庭は上級生がプチトマトを育てるために使うとのことで、一年生の鉢植えは回収することになった。鉢植えはそのまま自分達のものになり家に持って帰る。その頃になると朝顔達は皆枯れ果てて茶色く硬く、触ると割れてボロボロ土に落ちた。

でも僕の鉢植えには満開に赤、青、紫と色をつけた朝顔が咲き誇っていた。みんな僕の鉢植えに注目していて、気分は良かった。持って帰るのは大変だったが、家に帰って母に見せた。

母は笑った。僕は自慢した。

 

遅咲きも悪くないとその時思った。

ゆっくりでもいい、自分のペースで、確かな一歩を進めよう。